下宿で学生生活を送られた先輩方から、当時の体験やこれから下宿に入る方へのメッセージをいただきましたので、ぜひご覧ください。
氏名 :Y.I.
出身校 :愛知県立豊田南高校
下宿名 :増田荘(現在は廃業)
下宿の所在地:東京都杉並区下高井戸
通学校 :明治大学
入居年 :1994年
性別 :男
私が増田荘に入居したのは今から20年前のことです。現在は廃業して大家さんも下宿を建てかえて、普通の一軒家になっています。入学前に父親と二人で大学学生課のアパート・下宿斡旋コーナーに行き、そこで見つけました。
環境は風呂無し、トイレ・洗面台共用で一部屋4畳半。築20年以上の古い下宿でしたが、朝夕まかない付きでした。聞きなれない言葉ですが、これは食事がついているということで、大家さんが作ってくれました。すべての部屋は2階にあり、大家さんと同じ玄関を通って昭和の雰囲気がする古くて狭い階段を上ると、そこに部屋が5つ並んでいました。1階では大家さんの家族が普通に暮らしていて、下での会話が聞こえてくることもありました。
そのような環境でスタートした下宿生活。毎日が刺激的で本当に楽しいものでした。みんな部屋の鍵は全くかけず、参考書や小説、マンガやビデオなどを毎日貸し借りしていました。誰かが友達を連れ来ると、私もその部屋に呼ばれ、いつの間にか友達になって、そこからまた仲間が増えました。朝晩と決まった時間に食事が出るので、ほとんど毎日と言っていいほど顔を合わせました。そこでいろいろな話をして盛り上がりました。
そんな思い出深い生活でも特に忘れられないのは、3年生の冬にひどい風邪をひいた時のことです。40度近くの熱が2日ほど続いたのですが、下宿の仲間たちがお金を出し合って消化のいい食べ物やフルーツを買って来てくれました。おまけにどこで見つけてきたのか氷枕まで用意してくれたのです。その時は嬉しくて涙が出そうでした。
卒業後、仲間はみんな自分の故郷で就職しました。20年以上たった今でもその仲間たちと連絡を取り合っています。久しぶりに電話で話をしても不思議なことに昨日まで一緒にいたかのように自然に会話ができます。それほど下宿での生活が記憶のなかに鮮明に残っているのですね。
氏名 :S.I.
出身校 :兵庫県立西脇高校
下宿名 :メゾンスミレ
下宿の所在地:広島県尾道市久山田町
通学校 :尾道市立大学
入居年 :2008年
性別 :男
下宿先では、近くの学校や同年代から先輩にいたるまで様々な学生が住んでおり、初めて入ってもすぐに、顔見知りや友達ができるよいきっかけになります。
下宿の諸先輩方からは、1年生の時の経験であったり、専攻する学科の内容であったり、また、部活やサークル活動の情報などを教えてもらえたので不安がなくなりました。
地域や下宿先によって違いもあるかもしれませんが、私がお世話になったメゾンスミレは、大家さんが学生の交流に非常に協力的だったこともあり、学生たちが主催して大家さんのご協力のもと、年に1回~2回周辺の下宿の人たちを集めた交流会を開いておりました。そこからまた、周囲の人との交流を深めていき、さらにいろいろな活動の情報収集ができました。もちろん参加は自由なので、参加してもしなくても問題はありませんでした。また、下宿先で食事が出ましたので、かなり安く食事ができました。
この下宿で特に魅力的だったのは、下宿先の初期設備において、冷蔵庫などの家電がある程度そろっており、わざわざ買う手間がなくて済むことでした。これは非常に助かりました。
氏名 :T.K.
出身校 :北都保健福祉専門学校 介護福祉学科
下宿名 :ファミールボード
下宿の所在地:北海道赤平市幌岡町
入居年 :1998年
性別 :男
私は専門学校在学中の実習先が実家から遠く離れてしまったために約1ヶ月間、下宿での生活を体験しました。
下宿先は、赤平市の小高い丘の頂上付近にある「ファミールボード」というところでした。この下宿は本来、私の様な学生を受け入れることはほとんどなく、どちらかというと工事現場で働かれているような方を受け入れているようでした。実際に、私がこちらにお世話になっている間、私のほかに下宿されている人は道路工事の人ばかりでした。
私がお世話になった部屋は、3階の6畳ほどの部屋で、そこにはテーブルが一つと2段ベッドが用意してありました。食事は、朝晩1日2回ついていて、昼間は実習先で食べていました。土日も同じでしたが、昼食は出ないので外食しました。
下宿の中の設備としては、部屋にはテレビはありませんでした。シャワーとお風呂は、開いていれば使えました。洗濯機は、1階の洗濯室で自由に使えました。しかし洗剤は、自分で用意しなければならなかったです。家賃は、1ヶ月で7万2千円だったと思います。
下宿周辺は静かな環境で、夜になるとカエルの鳴き声が聞こえました。下宿の管理人さんはとても優しく、親切な方でした。いつも声をかけてくださり、安心して実習に取り組むことができました。とても、居心地の良い下宿だったということを思い出します。
氏名 :S.A.
出身校 :富山県立桜井高校
下宿名 :嵐山荘
下宿の所在地:新潟県新潟市西区五十嵐3の町
通学校 :新潟大学法学部
入居年 :1988年
性別 :男
富山の実家から大学進学を機に一人暮らしを始めました。その下宿は2階建ての木造アパートで廊下を中心に両サイドに部屋があり、(1階に7部屋×2=14部屋)あり、お風呂が共同で1つ、洗濯機が2台+乾燥機が1台、そしてトイレが2つ×2階で、公衆電話が1台ありました。また、アパートの離れにレクリエーションルーム(として麻雀セットが完備)がありました。
私が入居したときは、新入生が4人、あとはすべて同じ大学の先輩になりますが、2年生が5人、3年生が2人、大学院生の方が1名の12人(全員男性)だったと記憶しています。入居して間もなく、顔合わせの食事会があり、それぞれの名前、学部、出身県ぐらいはインプットしました。性格は様々ですが、基本は和気あいあいの雰囲気でした。
部屋は6畳和室のワンルームで押し入れとキッチンも完備されていましたが、築年数は相当古くて、隣の音がよく聞こえていました。また、部屋にカギはありますが、中からボタンを押すタイプのカギで、多くのメンバーは、基本的に外出時以外はカギをかけないので、自由に出入りが出来る状態でした(中にはずっとカギをかけない猛者もいました)。
そんな暮らしぶりだったので、神経質な方には少ししんどいかもしれません。しかし、同級生はもちろん、先輩たちとも仲良くなれるので、自宅から通う学生、またマンション暮らしの方とは違うコミュニティーを作ることができます。それに共同生活をするとういう意味でも10代でこのような体験をできたことは、今振り返ると非常に貴重なものでした。
氏名 :I.N.
出身校 :今金町立今金中学校
下宿名 :塩谷下宿
下宿の所在地:北海道函館市八幡町
通学校 :遺愛女子高等学校
入居年 :1993年
性別 :女性
地元にはない専門コースのある高校に通うため、親元を離れることになったのが私の下宿生活の始まりでした。「寮は先輩後輩の関係が怖そう」と思い、迷わず下宿生になることを選び、中学時代の先輩であった方が入っている下宿に空きが出るということで、そこを即決しました。
60代後半くらいの大家さん夫婦が暮らす一軒家の二階に、8畳間が6部屋ありました。各部屋にはベッドと机、そして小さなテーブルにテレビがそれぞれありました。一般的な下宿では、洗濯機とお風呂、そしてトイレは共同の場合が多く、私の下宿ではすべてそれらが1つずつしか無かったため、お風呂などはじゃんけんをして入る順番を決めていました。
大人になって振り返ってみると、下宿体験で印象に残っているのはやはり、「家庭的な雰囲気だった」ということですね。家庭的な朝食や夕食を決まった時間に下宿生が一緒になって食べるという環境は、特に若い学生世代には良いものです。大家さんの方針にもよりますが、親元を離れた子供を預かっているという気持ちで、敢えて口うるさく注意をしてくれたり、見守ってくれたりしてくれるような下宿だと、親御さんも安心でしょう。
ただ、集団生活である以上デメリットもあります。例えばお風呂が毎日好きな時間に入れない、洗濯機も誰かが使っていると使えない、門限がある、好きなものを食べられない、隣の部屋がうるさいなど、細かいことを挙げればたくさんあります。それでもよくよく考えてみると、どれも普段の家庭生活の中でも起こることでなんですね。
もちろん、他の下宿生と仲良くなり、他校の友人や歳の違う友人ができる素晴らしいメリットと、ついつい消灯時間までお互いの部屋で話し込んでテスト勉強できなかったという微笑ましい失敗が起きてしまうのは下宿でないと起こりませんが・・・。
下宿の良さは、やはり親代わりをしてくれる人がいることでしょう。そんなことを踏まえると、下宿選びのポイントとしては「どんな大家さんなのか」ではないかと思います。